ガラスは固体なの、液体なの?
― 「ゆっくり流れている」は、時間の計算が合いません
「古い教会の窓ガラスは、下のほうが厚い。ガラスは何百年もかけて、ゆっくり液体のように流れているからだ」――そんな話を聞いたことがあるかもしれません。魅力的な話ですが、実際に時間を計算してみると、成り立ちません。ガラスが室温で本当にそれだけ流れるには、数百年どころか、けた違いに長い時間が必要になります。
中世に建てられたヨーロッパの教会には、今も当時のガラスがはめこまれていることがあります。よく見ると、ガラスの厚みが、上と下で違うことがあります。
ここから「ガラスは固体に見えて、実はとてつもなくゆっくり流れる液体で、何百年もかけて下に垂れてきたのだ」という説明が広まりました。科学好きの雑学として、いまも語られることがあります。
ただし、この話にはひとつの弱点があります。「本当にそれだけの時間で流れるなら、いくら流れるのか」を、誰も計算していないのです。
計算してみると、数百年という時間は、ガラスが目に見えて流れるには、あまりにも短すぎることがわかります。
原子の並び方は液体のように不規則なのに、力学的にはしっかり固まっています。この二面性が、誤解の入り口になっています。
室温のガラスがどれだけ流れにくいかを計算すると、数百年は誤差にもならないほど短い時間だとわかります。
では、なぜ古いガラスは厚みが不ぞろいなのでしょうか。本当の理由も、あわせて見ていきます。
ガラスは「固まった液体」ではなく、「非晶質固体」です
ふつうの氷や金属は、原子が規則正しく並んだ結晶です。液体から冷やしていくと、ある温度でぴたりと整列し、結晶になります。
ガラスは、これとは違う固まり方をします。溶けたガラスを冷やしていっても、原子はきれいに整列しません。液体のときの不規則な並び方を、そのまま引きずったまま、動けなくなっていきます。見た目は透明な固体なのに、原子レベルの並び方は液体に近い――これが「非晶質固体」と呼ばれる状態です。
この「並び方は液体的、性質は固体」という二重性が、「本当は液体なのでは」という誤解を招きやすくしています。ただし、力学的な意味では、ガラスは間違いなく固体です。叩けば割れ、形を保ち、流れて広がったりはしません。
それでも、しっかり固まっていることに変わりはありません。
「ゆっくり流れる」を、実際に計算してみます
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。「ガラスは超スローモーションの液体で、何百年もかければ流れる」という話は、よく聞きます。ただし、「どれだけの時間で、どれだけ流れるのか」を数字にした人は、あまりいません。
ガラスにも、粘り気(粘性)という性質があります。はちみつやタール(ピッチ)のように、粘性が高いものほど流れにくく、流れて形を変えるまでに時間がかかります。
ガラスが柔らかくなって、実際に加工できるようになる温度(ガラス転移点、窓ガラスではおよそ550℃)では、この粘性が、はちみつよりもずっと硬いレベルまで下がっています。ところが室温では、そこからさらに、けたはずれに粘性が高くなります。
実際に式を使って計算すると(くわしくは最後の折りたたみに)、室温のガラスが目に見えて流れるまでには、数百年どころか、はるかに長い時間が必要だという結果になります。中世から現代までの時間は、この必要な時間の中では、ごくわずかな一部分でしかありません。
では、なぜ古いガラスは厚みが不ぞろいなのか
本当の理由は、「作り方」にあります。
中世からしばらくのあいだ、板ガラスは手作業で作られていました。溶けたガラスを吹いて風船のようにふくらませ、それを開いたり回転させたりして板状にします。この方法では、板の厚みが均一になりません。中心に近い部分は厚く、外側に近い部分は薄くなる、という製造上のクセが生まれます。
できあがった大きな板から、四角く切り出して窓にはめこみます。切り出した1枚の中でも、もともと厚みにばらつきがあります。
そして、ガラス職人が窓にはめこむとき、厚いほうを下にすることが多かったと考えられています。厚いほうを下にすれば、枠の中で安定しやすく、扱いやすかったからだとされています。これは物理現象ではなく、人の判断です。
もし本当にガラスが重力でゆっくり流れて下が厚くなるのなら、すべての古いガラスで、同じ方向(下)が厚くなっているはずです。
ところが実際には、厚いほうが上や横に取り付けられている、古いガラスも見つかっています。これは、厚みの向きが「もとから、その板ごとにバラバラだった」ことの証拠になります。重力でゆっくり流れたのなら起こりえない現象で、製造時のばらつきと、取りつける職人の判断で厚みの向きが決まった、という説明のほうが、実際の観察とよく合います。
ガラスは、まったく流れないわけではありません
誤解のないように補足します。「数百年で流れない」ことと、「まったく流れない」ことは違います。
ガラスを高温にすれば、当然やわらかくなり、流れて形を変えられます。ガラス職人が吹きガラスで自在に形を作れるのは、そのためです。また、非常に長い時間(この記事の計算が示すような、けた違いの年月)をかければ、理論上はわずかに変化する可能性があるとも考えられています。
この記事が否定しているのは「数百年というごく短い時間で、目に見えるほど流れる」という部分だけです。温度や時間のスケールを正しく見積もると、話がまったく変わってくる、という例です。
自分で確かめられること
- 透明なコップを2つ用意し、①水 ②はちみつ(または水あめ)を同じ高さまで入れる
- それぞれのコップを、同じ角度だけ、ゆっくり傾ける
- 水はすぐに動き、はちみつはゆっくり動くことを確かめる
- もし手元に硬いキャンディ(べっこう飴など、ガラスに近い物質でできています)があれば、同じように傾けてみる。まったく動かないことを確かめる
- 粘性の高さの順番を、水 → はちみつ → 硬いキャンディ(ほぼ動かない)と並べてみる
4と5がこの観察の要です。「粘性が高い」の延長線上に、動かないように見えるものがあることを、体感で確かめられます。ガラスの室温での粘性は、このキャンディよりも、さらにけた違いに高いと考えられています。
まとめ
ガラスは、原子の並び方は液体に似ていますが、力学的には正真正銘の固体(非晶質固体)です。「古いガラスが下ほど厚いのは、何百年もかけて流れたから」という話は、実際に時間を計算すると成り立ちません。本当の理由は、昔の手作業による製造方法で、もともと厚みが均一でなかったからです。
ガラスは、液体のふりをした固体です。
ただし、演技力は数百年の時間には負けません。
もっと知りたい人へ ― 用語・数値・教科書とのつながり中学理科から研究中の話題まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「化学基礎」で習う範囲
- 高校+高校の「化学」「物理」、または教科書の発展・コラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(材料科学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:ガラスをめぐる言葉
- 結晶:原子や分子が、規則正しく並んでできた固体。氷や食塩がこれです。
- 非晶質(アモルファス):原子の並び方が不規則な状態。ガラスの状態を指す言葉です。
- 粘性:流れにくさの度合い。粘性が高いほど、形を変えるのに時間がかかります。
- ガラス転移点:冷えて固まったガラスが、加熱でやわらかくなりはじめる、目安となる温度。
- クラウンガラス/シリンダーガラス:中世〜近代に使われた、手作業による板ガラスの製造方法。
高校式で確かめる:室温のガラスは、どれだけ流れにくいのか
本文で「数百年では流れない」と書きました。これを、実際の物理量を使って確かめます。使うのは、粘性から「形が変わるまでの時間の目安」を出す、シンプルな関係です。
形が変わる目安の時間 = 粘性 ÷ 硬さ(弾性率)
| 形が変わる目安の時間 | 単位は 秒 |
| 粘性 | 単位は Pa·s(パスカル秒)。値が大きいほど流れにくい |
| 硬さ(弾性率) | 単位は Pa。ガラスでは、およそ 3×10¹⁰ Pa とされています |
これは、物質が「押されてから、その力を粘性で逃がしきるまで」の目安の時間を表す、よく使われる関係です。粘性が高いほど、この時間は長くなります。
窓ガラスがやわらかくなりはじめるガラス転移点(約550℃)では、粘性はおよそ10¹² Pa·sという値になる、というのが、この温度の目安としての決め方になっています。
| ガラス転移点での粘性 | 10¹² Pa·s |
| 硬さ(弾性率) | 3 × 10¹⁰ Pa |
| 割り算する | 10¹² ÷ (3 × 10¹⁰) ≒ 33.3 |
| 形が変わる目安の時間 | 約 33 秒 |
ガラス転移点では、わずか30秒あまりで形が変わりはじめる計算になります。これは、ガラス職人が実際にこの温度で作業をするときの体感(すぐにやわらかくなる)とも合っています。
室温(約20℃)は、ガラス転移点(約550℃)よりも530℃ほど低い温度です。
ガラスのようなアモルファス物質は、温度がガラス転移点より下がるほど、粘性が桁違いに急上昇するという性質を持っています。ここで、かなり控えめな仮定を置いてみます。
| 控えめに見て、室温の粘性が転移点の何倍か | 10¹² 倍(実際はこれよりもっと大きいとされています) |
| ②の時間にこの倍率をかける | 33 × 10¹² 秒 |
| 1年は約 3.15 × 10⁷ 秒 | |
| 年数に直す | (33 × 10¹²) ÷ (3.15 × 10⁷) ≒ 1.05 × 10⁶ |
| 形が変わる目安の時間 | 少なくとも約 105万年 |
「控えめな仮定」だけでも、100万年を超える数字が出てきます。中世の教会が建てられてから、まだ800年ほどしかたっていません。
| 必要な時間(控えめな見積もり) | 約 105万年 |
| 実際に経過した時間 | 約 800年 |
| 何倍の開きがあるか | 1050000 ÷ 800 = 1312.5 倍 |
控えめに見積もっても、必要な時間の1300分の1ほどしか経過していません。そして本文で触れたとおり、実際の室温の粘性は、この計算よりもさらにずっと高いと考えられています。「数百年でガラスが流れて厚みが変わった」は、どう見積もっても、時間がまったく足りていません。
※ ガラス転移点付近から室温までの粘性の変化のしかたは、単純な一定倍率ではありません。ここでは「時間がまったく足りない」ことを示すための、控えめな概算です。
高校+ガラス転移点は、決まった温度ではありません
ガラス転移点は、ある1点の温度として決まっているわけではありません。「粘性がこの値に達した状態」という、基準となる粘性の値(この記事では10¹² Pa·s)で定義した、目安の温度です。
そのため、ガラスを冷やす速さによっても、観測されるガラス転移点は多少変わります。ゆっくり冷やすほど、原子が並びかけの状態に近づく時間があるため、転移点がやや低めに測定される傾向があるとされています。「ガラスになる」というのは、瞬間的な出来事ではなく、幅を持った移り変わりだということです。
大学なぜ、温度が下がるほど粘性が「異常に」上がるのか
ふつうの液体(水など)では、温度が下がると粘性はゆるやかに増えていきます。ところがガラスを作る物質の多くは、ガラス転移点に近づくにつれて、粘性の増え方が異常に急になります。これを「フラジャイル(もろい)」なふるまいと呼び、単純な指数関数では表せません。
この急激な変化を表すために、フォーゲル・フルチャー・タンマン式と呼ばれる、より複雑な式が使われます。②③の計算で使った「単純な倍率」は、あくまで大きさの見当をつけるための簡略化であり、実際の物理はこの式に沿って、もっと複雑に変化しています。
この性質のため、ガラス転移点よりずっと低い温度での正確な粘性を、実験で直接測ることは極めて困難です。測定に必要な時間そのものが、実験として現実的でない長さになってしまうからです。
研究まだ、はっきりしていないこと
- ガラス転移そのものの正体は、物理学の中でも有数の未解決問題とされています。これは相の変化(水が氷になるような変化)となにが違うのか、単に「動きが遅くなって固まって見えるだけ」なのか、それとも何らかの構造的な変化がともなっているのかについて、いまも議論が続いています。
- 「理想ガラス転移」と呼ばれる、理論上の考え方があります。もし無限にゆっくり冷やせたなら、ある温度で粘性が本当に無限大になる転移が存在するのではないか、という理論的な予想(コーツマンパラドックスとも関連します)ですが、実験で直接確かめることはできていません。
- 室温付近での正確な粘性の値は、直接測定できないため、理論やわずかに高温での測定結果からの外挿(延長して見積もること)に頼っています。この外挿のしかたによって、見積もられる値には、なお大きな幅があるとされています。この記事の計算が「控えめな見積もり」だと書いたのは、このためです。
- ガラスの中で、原子がどのようにわずかに動き続けているのか(もし動いているとして)、その詳しいしくみも研究の対象です。コンピューターを使った模擬実験(シミュレーション)で、極めて短い時間スケールでの動きを探る研究が続けられています。
「ガラスは液体か固体か」という、一見単純な問いの奥に、物理学でもまだ答えの出ていない領域が広がっています。身近な材料が、実は最先端の研究対象でもある、という例です。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・状態変化と結晶 | 結晶と非晶質の違い |
| 高校 | 化学基礎・物質の状態 | 粘性と弾性率から時間を求める計算 |
| 高校+ | 化学・非晶質固体 | ガラス転移点の定義、冷却速度との関係 |
| 大学 | 材料科学・レオロジー | フラジャイルなふるまい、フォーゲル・フルチャー・タンマン式 |
| 研究 | 凝縮系物理学(未解決) | 理想ガラス転移、室温粘性の外挿、原子スケールの動き |
| ― | 科学史・工芸 | クラウンガラス製法、教会の古いガラスの実例 |
- Zanotto, E. D., Do cathedral glasses flow?, American Journal of Physics 66, 1998(この俗説を定量的に検証した代表的な論文)。
- Debenedetti, P. G. & Stillinger, F. H., Supercooled liquids and the glass transition, Nature 410, 2001(ガラス転移の物理に関する総説)。
- 日本セラミックス協会・ガラス工学関連の教科書による、ガラス転移点と粘性の定義に関する解説。
- Angell, C. A., Formation of glasses from liquids and biopolymers, Science 267, 1995(フラジャイルなふるまいに関する研究)。
- 板ガラスの歴史および中世クラウンガラス製法に関する、ガラス工芸史の資料。
※ 粘性・弾性率・温度倍率の数値は、代表的な目安であり、実際の組成や条件によって幅があります。室温での粘性は直接測定が困難なため、外挿による見積もりです。
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安であり、とくに室温でのガラスの粘性は理論的な見積もりにもとづくものです。歴史的建造物のガラスについての詳細は、各建造物や専門機関の資料をご確認ください。