天ぷら油の火に水をかけると、
なぜ天井まで火柱が上がるの?
火が出たら水をかける。ふつうはそれで正解です。ところが台所の油だけは、水をかけた瞬間に火が何倍にもふくれ上がります。理由は、たったひとつの数字で説明できます。その数字は 1700 です。
夕方の台所。天ぷらを揚げようと火にかけた鍋を、ちょっとだけ目を離したすきに、油から白い煙が上がりはじめます。あっと思ったときには、鍋の中の油が、鍋のふちから炎を上げて燃えています。
とっさに手が伸びるのは、たいてい水道の蛇口か、そばにあったコップです。火事なんだから、水をかければ消える。そう考えるのは自然なことです。
ところが、燃えている油にコップ一杯の水をかけると、炎は天井まで届く火柱になります。消えるどころか、まわりに燃える油をまき散らして、火が部屋じゅうに広がります。
水は油の上にとどまりません。油をかき分けて底へ沈みます。そこは300℃を超える世界です。
底で一気に蒸気に変わり、上にある燃えた油を丸ごと空中へ吹き上げます。これが火柱の正体です。
つまり水は、火を消しにいくのではなく、鍋の底で爆発するのです。順に見ていきましょう。
理由1:水は油の「上」ではなく「下」に行く
ドレッシングの瓶を思い出してください。振ってしばらく置くと、油が上、水が下に分かれます。油のほうが軽いからです。
燃えている鍋でも同じことが起きます。かけた水は炎の上に乗るのではなく、油をかき分けて鍋の底まで沈みます。ここが決定的です。もし水が油の表面にとどまって、ふたのように酸素をさえぎってくれるのなら、水は消火に役立つはずでした。でも水は、いちばん熱い場所へ自分から潜り込んでいきます。
理由2:水は蒸気になると、けた違いにふくらむ
油が燃えているとき、その温度は300℃を超えています。水が沸騰する100℃の、3倍以上です。
そこへ水が届くと、じわじわ温まる時間などありません。触れた瞬間に蒸気になります。そして水が蒸気に変わるとき、体積はおよそ1700倍になります。
この数字を、身近なものに置き換えてみます。
| もとの水 | 200 mL(コップ1杯) |
| 蒸気になると(約1700倍) | 約 340,000 mL = 約 340 L |
| 340 L はどれくらいか | 一般的な家庭用の浴槽(約200 L)1.7杯分 |
| それが起きる時間 | ほぼ一瞬 |
※ 100℃・1気圧で計算した目安です。実際の油の温度ではさらにふくらみます。
浴槽1.7杯分の気体が、鍋の底から一瞬でわき上がる。その上には燃えている油が乗っています。油は、行き場のない蒸気に押されて、まとめて空中へ打ち上げられます。空中でこまかい霧になった油は、表面積が一気に増えて、勢いよく燃えます。これが火柱の正体です。
鍋の底で、爆発しに行くのです。
紙や木が燃えているときは、水をかけるのが正しい対処です。この場合、水は燃えているものの表面にとどまり、蒸発するときに大量の熱を奪って温度を下げてくれます。同時に、蒸気が酸素をさえぎります。
水が優秀な消火剤なのは変わりません。油のときだけ、水は「沈む」という性質のせいで、まったく逆の働きをしてしまうのです。
では、どうすればいいのか
- まず火を止めるコンロのスイッチを切ります。熱の供給を断つのが最初です。鍋を動かしてはいけません。持ち上げて運ぶと、あふれた油で火が広がり、やけどもします。
- 空気をさえぎる天ぷら油に対応した住宅用消火器や、市販の消火用シートがあればそれを使います。無ければ、大きめの鍋のふたを手前から滑らせるようにかぶせます。上からかぶせると、炎が手に回り込みます。
- 手に負えないと思ったら、すぐ逃げて119番炎が鍋からはみ出して、換気扇やカーテンに移りはじめたら、消火はあきらめてください。「もう少しで消せそう」がいちばん危険です。逃げるときはドアを閉め、近所にも声をかけます。
- 水をかける ― この記事の主題です。コップ一杯でも火柱になります
- 鍋を持って移動する ― 油がこぼれて火の道ができます。流し台まで運ぶのも危険です
- ぬれた布を勢いよく投げる、放り込む ― 布に含まれた水が、水をかけたのと同じことを起こします。布を使う方法を消防機関が案内していますが、よく絞って、手前から静かにかぶせることが前提です。自信がなければ、無理をせず避難を優先してください
- マヨネーズなどを投げ込む ― 一時期広まった方法ですが、消防機関は推奨していません。中身のほとんどが油と水分で、かえって燃え広がったり飛び散ったりするおそれがあります
- 火が消えた直後に、すぐふたを開ける ― 油はまだ発火する温度のままです。空気が入ると再び燃えます。十分に冷めるまでそのままにしてください
- 揚げ物中は、その場を離れない。台所火災の多くは「ちょっと目を離した」ときに起きています
- 白い煙が上がったら、それは危険信号。まだ燃えていなくても、発火する温度がすぐそこです。火を止めてください
- 調理油過熱防止装置(センサー)付きのコンロを使う。現在の家庭用ガスコンロには標準で付いています
- 住宅用の消火器か消火スプレー、消火シートを台所に置いておく。天ぷら油に対応した表示があるものを選んでください
- 火災警報器が鳴る状態か、ときどき確認する
台所で確かめられること(火は使いません)
- 透明なコップに水を半分入れる
- サラダ油をゆっくり注ぐ
- 油が上、水が下にきれいに分かれるのを見る。かき混ぜても、しばらくすると必ず同じ順番に戻る
この「油が上、水が下」という順番が、そのまま火柱の原因です。燃えている鍋の中でも、水は同じように底へ向かいます。絶対に火を使って試さないでください。確かめるのは、この分かれ方だけで十分です。
まとめ
燃えている油に水をかけてはいけないのは、水が「効かない」からではありません。水が油より重くていちばん熱い底へ沈み、そこで一瞬にして1700倍にふくらむという、水そのものの性質のためです。
火を止める。ふたをする。だめなら逃げて119番。
この順番だけ覚えておいてください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から研究中の話題まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「化学基礎」「物理基礎」で習う範囲
- 高校+高校の「化学」「物理」、または教科書の発展・コラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(燃焼工学・伝熱工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:「引火点」と「発火点」はちがいます
- 引火点(いんかてん):その液体から出た蒸気に、火を近づけると燃え出す温度。食用油ではおおむね300℃前後とされています。
- 発火点(はっかてん):火を近づけなくても、ひとりでに燃え出す温度。食用油ではおおむね360〜370℃程度とされています。天ぷら鍋を放置して火が出るのは、この温度に達するからです。
- 白い煙:油が分解しはじめた合図です。この段階ではまだ燃えていませんが、発火点はもうすぐそこにあります。
- 油火災:消火器の分類では、紙や木の火災(A火災)、油の火災(B火災)、電気の火災(C火災)と区別されます。台所用には天ぷら油に対応した表示のあるものを選びます。
なお、天ぷらを揚げる温度はふつう170〜180℃です。発火点まではまだ差がありますが、火にかけたまま放置すると、数分から十数分でその差は埋まります。
中学高校なぜ水は沈むのか ― 密度
水の密度は約 1.0 g/cm³、食用油はおよそ 0.91〜0.92 g/cm³ とされています。油のほうが軽いので、水が下、油が上に分かれます。中学理科の「密度」がそのまま効いている場面です。
ちなみに熱くなった油はさらに軽くなります(温まると体積が増えるため)。300℃の油と水では密度差がさらに開くので、水はいっそう速く沈みます。
高校式で確かめる:水ひとさじで、気体が何リットル出るのか
「油に水を入れてはいけない」は誰でも知っています。では、どれくらいのことが起きるのか。ここは数字にすると、想像よりはるかに激しいことがわかります。
水が蒸気になると、体積は約1700倍
| もとの水の体積 | 1 g = 1 cm³(単位は cm³、1 mL と同じ) |
| 蒸気になったあとの体積 | 約 1700 cm³(単位は cm³、1.7 L) |
| 倍率 | 約 1700 倍(単位のない、ただの比) |
液体の水では、分子どうしがくっつき合って詰まっています。蒸気になると、その結びつきがほどけて自由に飛び回るようになり、同じ量なのに占める場所が桁違いに増えます。
ここで大事なのは、この膨張は「押し返しながら」起きることです。上にある油を、まとめて押し上げます。
| うっかり入った水 | 大さじ1杯 = 15 mL とする |
| 蒸気になったときの体積 | 15 × 1700 = 25500 mL |
| リットルに直すと | 25500 ÷ 1000 = 25.5 L |
大さじ1杯の水から、25リットルの気体が出ます。2リットルのペットボトル12本分が、鍋の底で一気に生まれることになります。
それが油の下から吹き上がります。油は押し上げられ、細かい粒になって空中にまき散らされます。空中に散った油は空気とよく触れるので、そこで一気に燃えます。これが火柱の正体です。油が「爆発した」のではなく、水が油を打ち上げたのです。
水が沈んでからゆっくり温まるのなら、まだ間に合うかもしれません。実際には一瞬です。必要な熱がどれくらいかを見れば、その理由がわかります。
| 水 1 g を蒸気にするのに要る熱 | 約 2260 J |
| 油 1 g が 300℃ から 100℃ に下がるとき出す熱 | 2.0 × 200 = 400 J |
| 水 1 g を蒸発させるのに必要な油の量 | 2260 ÷ 400 ≒ 5.7 g |
水のまわりのわずか6 gほどの油が冷えるだけで足ります。鍋いっぱいの油が冷める必要はありません。接した瞬間、すぐ近くの油だけで熱がまかなえてしまいます。
だから「入れたら少し待って考える」時間はありません。沈む・沸く・吹き上がるまでが、ひとつながりで進みます。
| 水の密度 | 約 1.0 g/cm³ |
| 食用油の密度 | 約 0.92 g/cm³ |
| 差 | 1.0 − 0.92 = 0.08 g/cm³ |
水のほうが重いので、水は必ず油の底へ沈みます。しかも熱い油は温まって体積が増えるぶん、さらに軽くなります。300℃の油と水では差がもっと開き、水はいっそう速く沈みます。
つまり水は、いちばん熱い場所(鍋底)へまっすぐ向かい、そこで①②③が起きます。これ以上ないほど条件がそろっています。
火が出たら、まず火を止めて離れてください。水は絶対にかけないでください。この計算が示しているのは、水が「効かない」ではなく「事態を悪化させる」ということです。
高校「1700倍」はどこから出てくるのか
この数字は、覚えるものではなく計算できるものです。高校化学で習う気体の考え方を使います。
| 液体の水 1 mol の体積 | 18 g ÷ 1.0 g/cm³ = 18 cm³ |
| 気体 1 mol の体積(0℃・1気圧) | 22.4 L = 22,400 cm³ |
| 100℃に直すと(シャルルの法則) | 22,400 × 373 ÷ 273 ≒ 30,600 cm³ |
| 体積の比 | 30,600 ÷ 18 ≒ 1,700 倍 |
つまり「1700倍」は、水のモル質量と、気体1モルの体積という2つの数字だけから出てくる値です。油の温度である300℃で計算すれば、さらに大きくなります(約2,600倍)。
高校+なぜ「一瞬で」蒸気になるのか ― 潜熱と温度差
水を蒸発させるには、100℃に達したあとさらに大量の熱が必要です(蒸発熱、約2,260 kJ/kg)。ふつうならこれが時間かせぎになります。
ところが相手は300℃を超える大量の油です。温度差が200℃以上あるうえ、油の熱容量は大きいため、必要な熱があっという間に供給されます。時間かせぎになりません。
さらに、油の中に入った水滴はまわりを油に完全に囲まれています。逃げ場がないところで発生した蒸気は、そのまま上の油を押し上げる力に変わります。同じ量の水でも、開けた場所にこぼれるのと、油の底で沸くのとでは、結果がまったく違います。
大学この現象の名前 ― スロップオーバーとボイルオーバー
燃えている油の層に水が入って激しく吹き上がる現象は、消防・燃焼工学の分野でスロップオーバー(slop over)と呼ばれます。石油タンク火災で、底に溜まった水が加熱されて同じことが起きるボイルオーバー(boil over)とあわせて、古くから研究されてきた重大なリスクです。
関係する専門分野は、水滴が高温面で不安定に沸騰する膜沸騰やライデンフロスト現象、噴き上げられた油が霧になって燃える噴霧燃焼など、いずれも大学の伝熱工学・燃焼工学で扱う内容です。飛び散った油滴が細かいほど、表面積が増えて燃焼が激しくなります。
研究まだ決着していないこと ― 「水は霧にすれば油火災を消せる」という逆説
ここまで「油に水は絶対だめ」と書いてきましたが、じつは水を非常に細かい霧(ウォーターミスト)にして噴霧すると、油火災を消せることが知られています。実際、業務用の厨房やエンジンルームでは水を使った消火設備が使われています。同じ水なのに、なぜ正反対の結果になるのでしょうか。
- 霧は油の中に潜り込まない。粒が小さいと、炎の中で蒸発しきってしまい、底まで届きません。「沈む前に蒸気になる」ので、爆発的な押し上げが起きないと考えられています。
- 蒸気が炎を薄める。細かい霧は表面積が大きく、素早く熱を奪い、発生した水蒸気が酸素を追い出します。
- ただし、境目がどこにあるかは単純ではありません。粒の大きさ、噴射の勢い、油の深さ、鍋の形。これらの組み合わせによって「消える」と「爆発する」が入れ替わります。家庭の台所という条件で、どこからが危険なのかを一般の人が判断するのは不可能です。
- だから安全側の助言はいつも同じです。「油に水はかけない」。この単純な言い方は、科学的に不正確だから採用されているのではなく、境目を見誤ったときの代償が大きすぎるから採用されています。
安全のルールには、こういう「わざと単純にしてある」ものがあります。その裏側に何があるかを知っておくと、ルールを守る意味も見えてきます。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・密度/状態変化/燃焼と酸素 | 水が沈む理由、蒸気になると体積が増えること、ふたで消える理由 |
| 高校 | 化学基礎・物質量(mol)/気体の体積 | 「1700倍」を自分で計算する |
| 高校 | 物理基礎・熱量と比熱 | 温度差があると熱が速く伝わること |
| 高校+ | 化学・気体の法則/物理・潜熱 | シャルルの法則での温度補正、蒸発熱2,260 kJ/kg |
| 大学 | 燃焼工学・伝熱工学 | スロップオーバー、ボイルオーバー、膜沸騰、噴霧燃焼 |
| 研究 | 消火技術の研究(未解決) | ウォーターミストが消火に働く条件と、爆発に転じる境目 |
| ― | 防災・安全教育 | 火を止める→ふたをする→逃げて119番、消火器の種類 |
- 総務省消防庁および各地の消防本部による「天ぷら油火災」の注意喚起、住宅防火に関する広報資料。
- 独立行政法人 製品評価技術基盤機構(NITE)および国民生活センターによる、調理油の過熱・発火に関する再現実験と注意喚起。
- 消防法令に基づく消火器の適応火災の区分(A火災=普通火災、B火災=油火災、C火災=電気火災)。
- 日本ガス石油機器工業会ほかによる、調理油過熱防止装置(Siセンサーコンロ)に関する解説。
- 燃焼工学の標準的教科書におけるボイルオーバー/スロップオーバーの記述、および NFPA によるウォーターミスト消火設備に関する基準。
※ 発火点・引火点・蒸発熱などの数値は、油の種類や測定条件によって幅があります。本記事では一般に用いられている目安を示しました。
※本記事は一般向けの科学解説です。実際の火災時の判断は、消防機関の指示および消火器・消火用品の取扱説明書に従ってください。記事中の実験は、火を使わない範囲にとどめてください。掲載した数値は、しくみを理解するための目安です。