パンはなぜふくらむの?
― 泡を作るより、逃がさないほうが難しい
こねたときの生地は、ずっしりした固まりです。それが数時間で倍以上になり、焼くとさらにひとまわり大きくなって、切ると細かい穴だらけになっています。空気を入れたわけではありません。中で気体が作られています。ただし、本当に難しいのは気体を出すことではなく、それを逃がさずに閉じこめることでした。
食パンでも、フランスパンでも、切ると細かい穴がびっしりあいています。指で押すと縮み、離すと戻ります。
この穴には、何が入っているのでしょうか。空気だと思われがちですが、違います。こねている間に空気を練り込んだわけではありません。
穴の正体は、生地の中で新しく作られた気体です。作っているのは酵母(イースト)という微生物で、生地の中の糖を食べて、二酸化炭素を出しています。
ただ、それだけならビールでも炭酸水でも同じことが起きています。パンが特別なのは、その泡が逃げずに残るところです。
小麦の中の糖を分解して、二酸化炭素とアルコールを出します。パンのにおいの一部は、このアルコールです。
小麦のたんぱく質がゴムのような網を作ります。この網が伸びて、泡を包んだまま持ちこたえます。
気体を作るだけなら、いろいろな方法があります。難しいのは2のほうで、小麦にしかできないことです。順に見ていきます。
気体そのものは、余るほど作れます
酵母は、生地の中の糖を分解して二酸化炭素とアルコールを出します。パン屋の前を通ったときの、あのわずかに甘酸っぱいにおいの一部は、このアルコールです(焼くとほとんど飛びます)。
どれくらい出るかというと、小さじ2杯ほどの砂糖から、1.5リットルのペットボトル2本ぶん近くの二酸化炭素が作れます。くわしい計算は最後の折りたたみに置きますが、生地をふくらませるのに必要な量の5倍以上あります。
つまり気体は足りています。余っています。それでも、小麦粉以外の粉ではうまくふくらみません。問題は、出すほうではないのです。
逃がさないのが難しい。
小麦だけが作れる「網」
小麦粉に水を加えてこねると、粉の中の2種類のたんぱく質が、つながって網目を作ります。この網は、伸ばすと薄く広がり、離すと縮みます。ゴム風船のような性質です。
この網があるおかげで、気体は泡のまま包みこまれ、押し広げながら生地全体をふくらませます。網が無ければ、気体は表面から抜けていくだけで、生地は膨らみません。
米粉やそば粉でパンを作るのが難しいのは、この網を作るたんぱく質が無い、あるいは少ないからです。気体が出ても、閉じこめられません。「ふくらむ粉」ではなく「泡を保てる粉」だったということになります。
そしてこねる作業は、この網を育てるためのものです。混ぜただけでは、たんぱく質はつながりません。力を加えて何度も引き伸ばすことで、少しずつ網が組み上がります。
意外に思われるかもしれませんが、気体は、何もないところに泡を作ることがほとんどできません。きっかけとなる、ごく小さなすきまが必要です。
パンの場合、そのきっかけはこねるときに巻きこまれた、目に見えないほど小さな気泡です。酵母が出した二酸化炭素は、まず生地に溶け、それからこの小さな泡に集まって、少しずつ大きくなっていきます。
つまりパンの穴の数は、こねる段階でほぼ決まっています。あとから泡が増えるのではなく、すでにある泡が育つのです。生地の扱い方でパンのきめが変わるのは、このためです。
同じことは、火山のマグマや炭酸飲料でも起きています。「溶けていた気体が、きっかけを得て泡になる」というのは、まったく同じしくみです。
いちばん伸びるのは、焼いている最初の数分です
発酵が終わった生地をオーブンに入れると、そこからもうひとまわり大きくなります。むしろ、この最後の伸びがパンの形を決めます。
理由は3つ重なっています。
温まると活動が一気に速くなり、二酸化炭素を大量に出します。ただし50℃を超えるあたりで力尽きます。
こちらが最大の力です。水はわずかな量でも、蒸気になると体積が約1700倍になります。
そして3つめが、もともと入っていた気体そのものが、温まって膨らむことです。30℃から100℃になるだけで、2割ほど大きくなります。
計算してみると、水蒸気の寄与は、発酵で作った二酸化炭素より大きくなります。「パンをふくらませているのは酵母だ」と言われますが、最後のひと押しは、水がしています。
そしてちょうどよいところで、骨組みが固まります。デンプンが水を吸って固まり、たんぱく質の網が熱で固まる。ふくらみきったところで、形が凍結されるわけです。焼き上がったパンが冷めても縮まないのは、このためです。
こねている途中の生地やクッキー生地を、少しつまみたくなることがあります。おすすめできません。
理由は卵だけではありません。加熱していない小麦粉そのものにも注意が必要とされています。粉は畑から袋詰めまで加熱されないため、まれに食中毒の原因となる菌が残っていることがあります。加熱してはじめて安全になる食材だと考えてください。
小さな子どもが台所を手伝うときは、生地を口に入れないこと、さわった手で口を触らないことを先に伝えておくとよいと思います。
台所で確かめられること
- ペットボトル(500 mL)にぬるま湯200 mL、砂糖小さじ2、ドライイースト小さじ1を入れて軽く振る
- 口にしぼませた風船をかぶせる
- 暖かい場所(30℃前後)に置いて、15〜30分待つ
- 風船がふくらんできます。これが酵母の出した二酸化炭素です
- 比べる用に、イーストを入れないボトルも同時に用意すると、はっきりします
5がこの観察の要です。「温めたから膨らんだのでは」という疑いを、自分で消せます。ふたはせず、必ず風船で逃げ道を作ってください。密閉すると圧力がかかって危険です。湯は熱すぎないように(60℃を超えると酵母が死んでふくらみません)。終わったら流しに捨ててよく洗ってください。
まとめ
パンがふくらむのは、酵母が糖を食べて二酸化炭素を出し、小麦のたんぱく質が作る網が、それを逃がさずに包みこむからです。気体は余るほど作れます。難しいのは閉じこめるほうで、そこは小麦にしかできません。そして焼くときに水が蒸気になって最後に押し広げ、ちょうどそこで骨組みが固まります。
ふくらませているのは酵母ですが、
形を決めているのは、網と、水です。
もっと知りたい人へ ― 用語・数値・教科書とのつながり中学理科から研究中の話題まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「化学基礎」「生物基礎」で習う範囲
- 高校+高校の「化学」「生物」、または教科書の発展・コラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(食品科学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:パンをめぐる言葉
- 酵母(イースト):糖を分解して二酸化炭素とアルコールを出す微生物。カビやきのこと同じ仲間です。
- アルコール発酵:酸素を使わずに糖を分解する働き。パン、酒、ビールに共通します。
- グルテン:小麦の2種類のたんぱく質が水とこねられてできる網目。本文の「網」です。
- 糊化(こか):デンプンが水と熱で固まること。ご飯が炊けるのも、これです。
- ベーキングパウダー:微生物を使わず、化学反応で直接二酸化炭素を出す粉。時間がかかりません。
高校式で確かめる:砂糖からどれだけの気体ができるか
本文で「気体は余るほど作れる」と書きました。どれくらい余るのかは、計算で出せます。
C₆H₁₂O₆ → 2C₂H₅OH + 2CO₂
| C₆H₁₂O₆ ぶどう糖 | 1 mol あたり 180 g |
| C₂H₅OH エタノール | 1 mol あたり 46 g |
| CO₂ 二酸化炭素 | 1 mol あたり 44 g |
読み方は「糖が1に対して、アルコールが2と二酸化炭素が2できる」です。念のため、重さが合っているか確かめておきます。
| できるアルコールの重さ | 2 × 46 = 92 g |
| できる二酸化炭素の重さ | 2 × 44 = 88 g |
| 合計(もとの糖と同じはず) | 92 + 88 = 180 g |
合いました。糖が消えたのではなく、気体と液体に分かれただけです。
| 使う砂糖 | 10 g(小さじ2杯ほど) |
| 何 mol か | 10 ÷ 180 ≒ 0.056 mol |
| 二酸化炭素はその2倍できる | 0.056 × 2 = 0.112 mol |
| 気体 1 mol の体積 | 約 24 L |
| できる二酸化炭素 | 0.112 × 24 ≒ 2.7 L |
2.7リットル。1.5 Lのペットボトル2本近くです。小さじ2杯の砂糖から、これだけ出ます。
では、必要な量はどれくらいでしょうか。生地500 gが倍にふくらむには、0.5 L ほど増えれば足ります。
| 作れる量 | 2.7 L |
| 必要な量 | 0.5 L |
| 余裕 | 2.7 ÷ 0.5 ≒ 5.4 倍 |
5倍以上あまります。だから「気体が足りなくてふくらまない」ということは、まず起こりません。ふくらまないときの原因は、たいてい閉じこめる側にあります。
※ 実際には、糖のすべてが分解されるわけではなく、一部は酵母自身の増殖にも使われます。また砂糖(ショ糖)は分解されてから使われます。上限の見当をつけるための計算です。
オーブンでの最後の伸びを、3つに分けて見積もります。
| ア)水が蒸気になる分 | 生地の水100 g のうち 5% が蒸気になるとすると |
| 蒸気になる水の重さ | 100 × 0.05 = 5 g |
| 体積は約1700倍になるので | 5 × 1700 = 8500 mL |
| リットルに直すと | 8500 ÷ 1000 = 8.5 L |
| イ)もとの気体が温まって膨らむ分 | 30℃(303 K)から100℃(373 K)へ |
| 膨らむ割合 | 373 ÷ 303 ≒ 1.23 倍 |
②で出した二酸化炭素は2.7 L、アで出た水蒸気は8.5 L。水蒸気のほうが3倍以上多いことになります。
「パンをふくらませているのは酵母」と言われますが、量でいえば最後のひと押しは水がしています。酵母の仕事は、焼く前にきめ細かい泡の下地を作ることのほうにあります。
なお、この「水が蒸気になると約1700倍」という数字は、天ぷら油に水を入れたときの記事で出てきたものと同じです。台所でパンをふくらませている力と、火柱を上げる力は、同じ現象です。閉じこめられているか、一気に噴き出すかの違いだけです。
※ 蒸発する割合、生地の水分量、焼成温度は条件で大きく変わります。どちらが効いているかの見当をつけるための概算です。
高校+なぜ「ちょうどよく」固まるのか
焼いている途中で、生地の中では順番に別々のことが起きています。この順番が、パンの形を決めています。
- 40〜50℃あたり:酵母の活動がもっとも活発になり、そのあと力尽きます
- 60℃前後:デンプンが水を吸って固まりはじめます(糊化)
- 70℃以上:たんぱく質の網が熱で固まり、伸びなくなります
- 100℃前後:水が蒸気になり、いちばん強く押し広げます
- 140℃以上(表面のみ):焼き色と香りが生まれます
膨らませる力が最大になるのと、骨組みが固まるのが、ほぼ同じタイミングで起きます。もし固まるのが早すぎれば、ふくらみきる前に止まってしまいます。遅すぎれば、支えを失って潰れます。
焼き上がったパンを途中でオーブンから出すと、しぼんでしまうことがあります。骨組みがまだ固まりきっていないためです。
また二酸化炭素は、温度が上がるほど水に溶けにくくなります。生地の水に溶けていたぶんが、加熱で追い出されて泡に加わります。これも最後の伸びに効いています。圧力鍋の記事と同じで、溶けていられる量は条件で変わるという話です。
大学生地は、固体でも液体でもありません
パン生地は、押せば形が変わり(液体のよう)、離すと少し戻る(固体のよう)という、中間の性質を持っています。こうした性質を扱う分野があり、「どれくらい伸びるか」と「どれくらい戻るか」を別々に測って、生地の良し悪しを数値にします。
難しいのは、この性質が時間とともに変わることです。こねた直後と、寝かせたあとでは別物になります。しかも変化の速さが、温度・水の量・粉の種類で変わります。「同じ配合」でも「同じ生地」にはなりません。
泡の側にも問題があります。大きな泡は小さな泡を吸収して育ちます。放っておくと泡の大きさがそろわず、すが入ったパンになります。適度なタイミングで生地をたたんでガスを抜く作業には、泡の大きさをそろえ直すという意味があります。
研究同じ配合でも、同じパンにはなりません
- グルテンの網がどう組み上がるかは、分子レベルでは完全には説明できていません。2種類のたんぱく質がどのように絡み、どんな結合が効いているのか。おおよその描像はありますが、「こねると強くなる」を分子の言葉で最後まで追えてはいないとされています。
- 再現性が、いまも課題です。小麦は農産物なので、産地・品種・その年の天候でたんぱく質の量と質が変わります。工場では毎回測定して配合を調整しますが、粉の性質を測る指標そのものが、焼き上がりを十分に予測できないことが知られています。
- 天然酵母(サワードウ)の微生物のつり合いは複雑です。酵母と乳酸菌が共存し、互いに影響しあっています。同じ種から分けても、置かれた環境で構成が変わります。なぜ安定して続くのかは研究が続いています。
- 小麦を食べたときの体調不良には、まだ議論のある部分があります。免疫の仕組みがはっきりしている疾患がある一方、それに当てはまらない訴えについては、原因がグルテンなのか、ほかの成分なのか、議論が続いているとされています。自己判断で食事を制限せず、医療機関に相談してください。
パンは人類が数千年作り続けてきた食べものです。それでも「なぜこの粉はうまく膨らむのか」を、分子から予測することはまだできません。長く作られてきたことと、よくわかっていることは、別です。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・生物と微生物/気体 | 酵母のはたらき、二酸化炭素 |
| 高校 | 化学基礎・化学反応式と物質量 | 砂糖10 g からできる気体の計算 |
| 高校 | 生物基礎・呼吸と発酵 | アルコール発酵 |
| 高校+ | 化学・気体の法則/たんぱく質の変性 | 温度による膨張、網が固まる順番 |
| 大学 | 食品科学・レオロジー | 生地の粘弾性、泡の粗大化 |
| 研究 | 穀物科学(未解決) | グルテン形成、再現性、微生物のつり合い |
| ― | 食の安全 | 生の生地を食べないこと |
- 日本食品科学工学会および製パン関連の教科書による、製パン工程の解説。
- Cauvain, S. P. & Young, L. S., Technology of Breadmaking(製パン技術の標準的な教科書)。
- Shewry, P. R. ほか、小麦たんぱく質とグルテン形成に関する一連の研究。
- De Vuyst, L. ほか、サワードウ微生物叢に関する研究。
- 厚生労働省および消費者庁による、加熱不十分な小麦粉・卵に関する注意喚起。
※ 発生する気体の量、蒸発する水の割合、各段階の温度は、配合と条件で大きく変わります。本記事では一般に引用される目安を示しました。
※本記事は一般向けの科学解説です。食品の取り扱いについては、厚生労働省・消費者庁などが示す情報に従ってください。食物アレルギーや食事制限に関する判断は、自己判断せず医療機関にご相談ください。掲載した数値は、しくみを理解するための目安です。